■ 写真の修復をしてみた。

今日も10本ほどネガをスキャニングしてが、なかにはネガが無くプリントした
写真だけが入っている袋もあった。もう全て数十年前の写真ばかりなので、退色・
変色しているのものばかりである。
写真が経年で劣化していくのは、化学変化として致し方ない事である。
ネガがあれば元画の復元は容易いが、”写真”しか残ってなければそれから修復
して元画に近付けるしかない。デジタルが身近になった現在は、素人でも簡単に
(ある程度は)補修や修復が出来るのはありがたい。
38年前・・・
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昭和50年は1975年。明るい未来を夢見て、日本中に活気がある時代だった・・・
まさかこんな新世紀が待っていようとは露とも知らず。
この日の事はよく覚えている。小学3・4年生だったろうか、一日中 京都の街を
駆け回って写真を写して歩いた、楽しかった思い出である。
もちろんカメラは”PEN”を持って。
スキャナで読み込み。
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実際の見た目は、もう少し退色して見える。
レベル調整。
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元画は構図が少し右に傾いでいたので、傾きも補正。
色目のレベルの調整は、金閣寺の一段目の白壁と空の色を基準にを行った。
仕上げ。
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不要部のトリミングし、シャープを少し掛けて出来上がり。
デジタルならでは。
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もう一つの写真も同じ手順で補修したが、こちらは金閣寺の”金色壁”を
若干強調するようにレベル調整してみた。
こう言う遊びが出来るのも、デジタルならではだろう。
この2枚と一緒に、同じ日に写した親父さんの写真が入っていた。
気付けば、今はもうこの親父さんより歳をとっている自分が・・・なんだかなぁ・・・。

「■ 写真の修復をしてみた。」への2件のフィードバック

  1. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    おはようさんです Rikkie師匠。
    >河・・・
    なるほどね 河を渡れる資格かぁ・・・、含蓄ありますなぁ^^)。
    たしかに、陸路で国境を変えた時の感覚って、日本人には不思議な
    感じがありますよね。
    しかし、いま日本国が渡ろうとしている河は?(渡し舟は? 船頭は?)、
    大丈夫なんでしょうかねぇ^^;)。
    >たった20年ほど前のネガのカラープリント
    デジカメ時代(それもごく最近)になって、やれ高画質だxx万画素だと
    云われ出しましたが、フィルムカメラ時代には写真趣味の人以外は、
    普通そんな事を気にしてなったですよね。
    >15年前に新疆ウイグル自治区を単車で走ったこと
    記、楽しく拝見させて頂いております。
    カナダ時代のご苦労話なぞも、ぜひお聞きしたいものです。

  2. SECRET: 0
    PASS: 9db06bcff9248837f86d1a6bcf41c9e7
    どもども、鍛冶屋殿。
    たった20年ほど前のネガのカラープリントを見て驚くのが、こんな低精度のプリントで満足していたんですよねえ。型落ちのデジペンで撮影した画像をキタムラでプリントしたものなんて、本当に高精度でシャープネス、発色はビビットですからねえ。それで、どっちが寫眞として魅力があるのかは別の話ですが。
    河の件ですが、我々島国の民族はピンとこないのですが、多くの場合「河」は国境を意味するのですよね。「山脈」も同様でしょうか。15年前に新疆ウイグル自治区を単車で走ったことがあるのですが、特別な仕様ではない普通のバスが普通に渡河していましたね。勿論、エラク時間をかけてです。橋を架けるということは、自国民の流通を確保もしますが、敵の戦車も渡ってくるということですね。
    猿岩石のユーラシア横断だって、どう考えたって陸路じゃ越えられない国境があるんですよね。飛行機に乗れる身分の人間しか移動してくれるなということです。
    拙僧なんてウルムチからトルファンを1週間くらい単車を流しただけなんですが、当時、ネパール越えっていうハードなツアーもありました。拙僧のツアーなんてのはエンジンはホンダのXLR125だけど、ボディはスチールの中国製「幸福」でしたが、あれは日本製のチャンとしたオフロードオートバイをチャーターしていましたね。その道はラバと戦車(履帯車両)しか走れないと言われていたんですよね。
    その道も5~6年前には普通のトラックが通れるようになったらしいですから、中央アジアも平和になったものです。

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