遂にリオ五輪が始まったと、風の噂に聞いた(ウチにはTVが無いので...)。
リオは、僅かな海外渡航歴しかない自分にとって思い出深い土地である。
2000年に行ったブラジルの旅。本来はリオ・デ・ジャネイロ (葡語: Rio de Janeiro :Wikipadia)に寄る予定は無かったのだが、帰りの飛行機まで少し日にちの余裕があったので、サンパウロに向う飛行機を変更してリオにも行ってみる事にした。
サントス・ドゥモン空港 (Aeroporto Santos Dumont: :Wikipadia)
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国内線はタラップ乗降で、機内サービスも基本なし(また、女性客室乗務員の態度も悪い!)。何せ国が広いので、まさに長距離バス感覚なのだろう。
空港ロビーのインフォメーションで市内の地図を貰って、安宿の多くある地域を尋ねる。"危ないからタクシーで行け"っとしきりに進められるが(タクシーの方がよほど怖いって…)、どうしてもバスで行きたいからと乗り場も教えてもらった。
ポン・ヂ・アスーカル (Pão de Açúcar :Wikipadia)
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ロープウェイ乗り場。ホテルからは、徒歩15分ほどであった。
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物凄い急勾配&スピードで昇っていく。
一段目の頂上はヘリポートなどもあり結構広く、周りはちょっとした公園・周回路見たいになっていて、リオの街をぐるりと見渡す事が出来る。正面に見えるのは、コルコバードのキリスト像。
出島みたいなのが、"サントス・ドゥモン空港"
空港から高いビルの立ち並ぶ辺りが新市街、それの左に続く山の裾野の辺りが旧市街・・・だったかな?。市バス内から見ただけだが、旧市街はかなりヤバイ雰囲気だった。バスで隣に居たおっちゃんに、"この辺りで絶対にバスを降りたらあかんでぇ・・・死ぬでぇ"っと、 (もちろんポルトガル語で)言われた。
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揺れるしギシギシ言うてるし・・・めっちゃ怖いって!。
高!。
2段目の頂上に到着、風が強くすんごく寒い!。ここには本当に何も無く(ベンチすらなく)、コンクリで均された展望場が低い手すりで囲われているだけであった。一緒のゴンドラで昇って来た白人の二人連れは、写真を2~3枚撮ったら乗って来たゴンドラで降りて行った。
キリスト像と同じくらいの高さに。
山(と言うか岩壁)の向こうが、コパカバーナ海岸。
日も暮れてきて、"このまま忘れられたらどうしよう・・・"っと不安になっていたら、次のお客さんを乗せてゴンドラが昇って来たのでほっとした^^;)。帰りは、さらに揺れること揺れること・・・。
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見ての通りビーチは夜間ライトアップされており、日本の海水浴場のように花火で騒ぐ輩なそももちろんいないので、涼みながら散歩するのにとても気持ちよかった。
上でゆっくりし過ぎて、下界に降りてきたら結構遅くなっていた。ホテルの近くに大きなショッピングモールもあったのだが、全体に商店の閉まる時間は早く、適当な食べ物屋さんも見当たらない(もちろん、高そうなレストランはあるが)。
海岸通りの屋台でホットドックと缶ビールを買い、食べながらプラプラ散歩しもってホテルに帰った。
・リオ二日目。
コルコバードのキリスト像 (Cristo Redentor :Wikipadia)を見に行く。
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ケーブルカー乗り場は、ホテルからバスで10分くらいだったかな?。ホテルの親父に地図を書いてもらってたがさっぱり分からず(南米人って、道教えるの下手杉)、結局バスの運ちゃんに教えてもらった。
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これまたかなりの急勾配を、ゆっくり・・・ゆっくり登っていく。
水平線に対し、窓枠の角度で傾きが分って貰えるだろうか?。
お先真っ白でなぁにも見えへんし...、この写真撮るのも結構粘った。
実はこの時期、山には雲が掛かっている事の方が多く、昨日のようにポン・ヂ・アスーカルの上がキレイに晴れている日は珍しかったのだと、後から教えて貰った。
足元は祭壇(教会?)になってるんや。
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イパネマ海岸 (Praia Ipanema: :Wikipadia)
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リオ市街 – セントロ地区散策
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観光オフシーズン&ウィークデイなので、観光客の姿は少ない様子。
お土産屋さんのテント村(?)もヒマそう。
地元の人達が買い物する普通の市場などを散策するのは面白い^^)。
1,991レアル(BRL)ショップは、米国の$1ショップ・日本の100均と同じ(当時のレートは、$1≒2BRL)。
公園のベンチでぼぉ~っとしてたら、(少女のような)婦人警官に職質された(怪しかったのだろうか^^;)。
パスポートを見せ何処其処のホテルに泊まってるよっと言ったら、"あっそ"って感じだったので、"写真撮って良い?"お願いしたら気楽に応じてくれた(笑ってはくれなかったけど)。
帰りは地下鉄に乗って見た(行きは市バス)。左側のおっちゃんが立ってる所に券売機がある。
こんな切符。
コレなんやっけ?。
構内は広くて明るく、日本の地下鉄の駅なんかよりよほどキレイ。危ない感じも全く無かった。
車両はかなり汚れていた。路線は一本しかなく、乗り間違いはないので安心(NYの二の舞は...^^;)。
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コパカバーナ海岸 (Praia Copacabanat :Wikipadia)
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水着美女がウハウハ・・・のはずが、流石オフシーズン! (しかも曇天) だ~れもいない:_:)。
あぁ・・・黄昏て行く...。
2泊目のホテル。Con Caffé(朝食付)で$5ほどだったかな?。
暗く写っているが、古いだけで清潔な部屋だった。シャワーは共同だが湯は出たし(温かったけど...)、トイレが個室に付いていたのも良かった。TV・冷房は無く空調は天井ファンのみだが、この時期夜は結構涼しく服を着て寝たくらい。
・リオ三日目。
本当はもっとゆっくりしたかったが、帰りの飛行機の時間は決まっている。サンパウロは空港の場所すら知らないので、余裕を見て前々日入りしたい。
リオは良い街だった、何時の日かまた来れたら良いなぁと思う。
初日はバスで、昨日は地下鉄で行き来したが、海岸通りを歩いていっても小一時間ほどかなと思えたし(ホテルの親父も行ける言ってたし)、散策がてら歩いてセントロに向かう。
コンビニでアイスを買ってプラプラ歩いていたら、海岸通りに立派な慰霊碑があり、そこでブラジルが第一次・第二次大戦に連合軍として参戦し、実際に欧州には派兵して戦闘にも参加していた事を知った。
ずっと飛行機移動で少々飽いたから、サンパウロには陸路 バスで向かう事に。
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長距離バスターミナルの場所は、昨日のうちに確認しておいたので迷う事無く到着。
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バスは中クラスで、食事(軽食)のサービス付き。料金は・・・忘れた。途中休憩はこの食事時の一回だけだったが、トイレは車内にもあるので大丈夫(ちょっと臭ったけど、汚くはなかった)。
座席はこんな風。もちろん、もっと豪華なサロンバスも安い乗り合いバス風クラスもあるので、ご予算に応じて。
無事サオに到着。隣に止まってたのは、ダブルデッカーの豪華サロンカーだった。
同じ南米とは思えない、ブラジルはやはり文明国だなぁ^^;)。
バスターミナルから直結の地下鉄で、セントロに向かう。
リベルダージ(葡語: Liberdade)地区は、ブラジル版リトル・トーキョー。
流石ここは日本語が溢れている!。日本料理店(ただし値段はかなり高い=日本と変わらない位)や日本の食材・雑貨のお店がいっぱいで、この街にいる限り日本語で生活できるほど(←これには、また後ほどびっくりする事になる!!)。
これまた2泊目のホテル。Sin Caffé(朝食無)で$8だったか?、バス停の直ぐ近くなのでココに。
明日は早朝に出発なので、前日に空港行バスのチケットを買う(朝は閉まってるから)。チケットはバスでも直接買えるが、満員だったら乗れない可能性がある (まぁ オフシーズンだから大丈夫だけど)。
さぁ、いよいよブラジルともさよならだ。
各写真のキャプションは、其の内追々埋めて行こう・・・・行けるといいな。
どもども、鍛冶屋殿。
コンテンツと御写真を興味深く拝見しました。
拙僧のようなヘタレには南米はやはり怖いです。中国だったそこそこヤバい場所でも、黙っていれば漢人に見えますからねえ。南米ではアジア人は目立つのでしょうか。
あっしもタクシーは滅多に使いません。北京も上海もメトロが豊富になって楽になりました。かつては、どこの年都市に行っても、まずは地図を買ってバス路線を確認すのが常でしたから。
後半のスナップ写真は興味深いですね。比較的、治安のよい場所なのでしょうが、拙僧だったらとてもメトロ内で撮影できません。
マクドナルドの看板がカタカナでしたが、意外と日本人移民が多いのでしょうか。だとしたら都市迷彩が効果を発揮しそうです。
楽しませて頂きました(mm。
まいどです Rikkie師匠 ご訪問ありがとうございます。
ブラジルは開拓移民の歴史が長いですから、ポン人自体は珍しくないんですよ。
それでも、やはり現地人と旅行者は違うようで、行く先々で必ず誰かに(善意・・・・悪意(?)問わずですが)声を掛けられました。
少なくとも、リオは観光地まわりの治安はとても良く、夜ビール片手に一人で海岸を散歩しててもヤバイ感じは無かったですね。
もう、海外に積極的にいきたいとはあまり思いませんが、リオはもう一度(今度はもっとゆっくりと)行って見たいです。