自分ら世代の子供の頃、戦車の絵を書くと砲先端はこのT型にするのが普通でした(たぶんに、映画”ゴジラ”に出てくる61式戦車の影響でしょう^^)。
ちなみに、この装置(?)の正式名称(和名)は”砲口制退器”と言います。
ここに来るのは30年ぶりです・・・おもひでぽろぽろです。
各写真のキャプションは、おいおいと記していきませう。
※全部、個人的な思い出話ですので、記憶違い・記述間違い等多々あると思います。
(旧)隊舎。
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自分達はたんに”隊舎”っと呼んでいましたが、正確には”庁舎(=業務を行う施設)”と”隊舎(=駐屯地に居住する士・曹が生活している施設 ※幹部は別棟)”を合わせた”庁隊舎”と言うそうです・・・知らなかった。
当時、ここに主要な建物は3戦車(3師団)・10戦車(10師団)それぞれに庁隊舎一棟づつの二棟しかありませんでした。3戦車側の庁舎には、駐屯地の司令部・運営部(業務隊や会計隊等)、3戦車No中隊.・本管、その他小隊・派遣隊等々・・・全てが入っていたので、まぁどこもかしこも人で溢れかえっていました^^;)。
今は隊舎は完全に別棟になっており、所属師団・部隊等に関係なく全員がそこで生活しているそうです。また、駐屯地運営関連の部署も(自分らのいた頃に造成中だった)新館に移動し、この建物は完全に部隊”庁舎”となっているようです。
現在、正面運動場に新しい庁舎の建設中で、この建物は本年度で取り壊されるのだそうです。最後にまた見る事が出来、今年来て良かったと思います。
三階の向かって右から三つ目と四つ目の窓の部屋が、”3戦車4中隊第2営内班”の居室でした。日当たり良好・見晴らし抜群(窓からは琵琶湖ビュー)、暖房完備(冷房はなし)、さらに家賃/水道光熱費無料!(ただし、トイレットペーパーは自前)・・・約15名での相部屋ですが^^)。
屋上は”物乾場(物干し場)”となっており、琵琶湖の”竹生島”を見下ろす良い景色が広がります。休みの日には、毛布干しを兼ねて屋上で日向ぼっこをしていました。
建物自体は、当時とまったく変わっていません。
たぶんこの部隊看板(?)も・・・。
偉い方々のいらっしゃる階には絨毯が敷いてありますが、もちろん通常階はコンクリ床のまんまです。
この階段を、毎日機関銃を担いで上り下りしましたっけ・・・。
正面奥の建物が、平成になってから建てtられた現在の”隊舎(居住舎)”だそうです。
旧運動場(?)。
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隊舎前は小さな砂利を敷き詰めた広場になっているのですが、現在その半分を潰して新庁舎の建設中でした。
たぶん、本来ここは運動場ではないのだと思いますが、他に広い開けた場所が無かったので、朝の体操から運動・訓練をこの場所でやっていました。しかし・・・何せ下は小さな砂利地ですから滑るし、こけたり投げられたり^^;)したら、あちこち”ずるっ!”っといっちゃうわけで・・・。膝小僧に見事なかさぶたを何回もこさえてたのは、小学生以来でした。
・・・うぅ~ん...、鉄棒はもっと高かったように記憶してたけどこんなの更新していないでしょうから、これも当時からあったものでしょうね。
戦車隊と言えば”懸垂”です。
戦車砲弾は、一発12~15kg程します。取扱い厳重注意の超危険物です。
それを揺れる戦車内で保持し、いざ射撃となるとすばやく薬室内に装填、力いっぱい押し込まなければなりません。また、補給車等からの積み出しや戦車への積み込み時等々、もしそれらのどこかで取り落して発火させてしまったら・・・結果は言わずもかなの大惨事です。
ですから、走るより投げるより、何はともあれ懸垂を徹底してさせられます。後期終了までに、全員最低10回(※自衛隊方式のです)がノルマとされました。
ちなみに、ここにきた時は2回しか出来なかった自分も、最後の体力測定では20回は出来るようになってました^^)。
・・・以下続く(?)。
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次はまた10年後くらいに、どう様変わりしているか楽しみに来て見ようか^^)。